ごろ太と銀次と福助と

アメリカンショートヘアのごろ太永遠の12歳。ブリティッシュショートヘアの銀次13歳。保護猫の福助5歳。猫達に癒やされる日々をつづります。

父のこと・母のこと

ごろぎん






銀次の手術が決まって間もなく、11月に入った頃の事。


父が早朝、脳梗塞で倒れた。


父はもう90歳。

2年前に母が入院した翌日に、腰の骨を圧迫骨折して入院したくらいで、大きな病気もせずここまで来た。


姉が一緒に寝泊まりしてくれていて、週3回のデイサービスに行っていた父。


デイサービスに行かない日は、ひたすらじっと居間に座ってテレビをなんとなく見ているか、横になって寝ているか。


月1回の母の面会。


そんな生活を続けて2年が経とうとした頃だった。


右脳の太い血管に血栓がつまり、左半身が動かない状態だったものの、発見も早く処置も上手くいったおかげで、何の後遺症もなく退院してきたのだった。


父が倒れた同じ日。

今度は母が肺炎にかかり、危険な状態だと病院から連絡が来た。


たまたま私と姉は父の事で仕事を休み、一段落した時の事だったため、そのまま母の病院へ。


点滴の針をさすのも難しくなり、皮下に針をさし、ゆっくり時間をかけての点滴をされていた。

口からごはんが食べられるようにならなければ、もう覚悟するしかない状態。


その後、何の連絡もないまま2週間。

病院に電話をしてみると、肺炎が改善し、口からごはんも食べているという。


主治医も驚く母の生命力。


ただ次に何かあったら、点滴の針も刺せないほどだし、無理な延命治療もしないでとお願いしているため、母の寿命はそこまでとなる。


気持ちが落ち着かない毎日の中、銀次の手術を迎えた。

銀次の手術を迷いに迷っていたのは、父と母の事があったせいもある。


結果、すべて良い方向におさまった・・・はずだった。



退院後の父は、一人で歩くのが難しく、起き上がるのもやっとの状態になった。


退院したばかりだからしかたない・・・と思っていたけど、ご飯も食べなくなり寝てばかり。


デイサービスに行っても、昼食も入浴も拒否し、じっと目を閉じ椅子から動こうとしないという。


何で食べないのか、わからないとしか言わない父。

認知症のせい?


脳梗塞から退院して2週間。

とにかく食べないため、救急で診てもらうことにした。


結果、肺炎、うっ血性心不全、重度大動脈弁狭窄症と診断され、そのまま入院。


熱もだせないほどだったらしく、本人、苦しいともだるいとも何も言わないし、そのせいで食事も喉を通らないなんて思いもしなかった。



入院後の父は、認知症のせいで自分の状況が認識できず、何度も点滴をはずしてしまうため、拘束されていた。


治療のためにはしょうがないと思っていたのだけど、90歳にもなって両手を拘束されてまでの治療はどうなんだ・・・。


何度も何度もはずしてしまうなら、もういいんじゃないかと主治医にお願いをし、少しご飯も食べているし、身体中に装着しているものすべてはずしてもらうことにした。


開放された父は、点滴を何度もはずしていたとは思えないようなおとなしい患者となっていた。


その後、結局また食べなくなり点滴、そしてまた両手を拘束されるはめになるのだが・・・。



本来生き物は皆、食べられなくなったらそれで終わり。。。

ごろ太の時に思い知った事だ。


でも、人間はなかなかそのままとはいかず、点滴を繰り返し生かされ続けるのだ。





年が明けて、月に一度の母の面会。

前日に熱を出し、食べてないとのことで点滴をしていた。

あきらかに弱ってきているのがわかる。

私達の事はわからないまでも、会話ができる母。

話しかけても話そうとしない父よりは、面会に行ったかいがある。



そして父は退院し、そのまま施設へ。


病院よりも居心地は良さそうだし、実の娘達よりも他人の方が甘えられるのか、介助してもらいながら食事もできているようだ。


娘達が必ずしも世話をすることがいいとは限らないんだな。。。

お互いに、これで良かったんだと思う。


どうしたいとも、どうしてほしいとも、何も言わない父。

何をすることがいいのか、何をしてあげたらいいのか、結局わからなかった。



私達の願いはひとつ。

父も母も、穏やかに過ごしてくれたらそれでいい。


命が尽きるその日まで。。。




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